前回、第二ターン(エポック)は「法の時代」とお話をしました。
メソポタミアで確立された「中央集権体系(法治国家)」が東西に超大国を確立させます。
東の漢帝国はアッシリアのように苛烈な「絶対権限」に基づくものでしたが、西のローマ帝国は共和制方式の政治、中央集権体制(軍事については「インペラトール」へと委ねる)を確立しエジプトを支配、中東にも介入をするまでになりました。
世界は大きく3つの地域にまとまりつつありましたが、各地の「巨大な船」に「巨大な氷塊」が直接激突する時代が始まりました。
【遊牧国家】
- ゲルマン 【0/3/-】 (フリティゲルン)
- チャンカ 【-1/2/-】 (?)
- フン 【+1/3/-】 (アッティラ)
- ケルト 【0/2/-】 (ウェルキンゲトリクス)
【第二エポックの遊牧民族】
第二エポックでは有名な遊牧民族が多数発生します。
大帝国が多数これによって滅亡させられ、ヨーロッパは中世暗黒時代へと突入していきます。
□ゲルマン□
ゲルマン系諸族、もともとはスカンジナビア半島やそのバルト海周辺の狩猟民族が南下してきたと考えられる。
スキタイの影響で騎乗もよくし、ケルトとは異なり、定住生活に親しまなかったので後々までローマ帝国に祟ったが、帝国最盛期には多くのゲルマン人はローマ人の言うところの「文明化」されてもいた。
(ブリタニア北部のケルト人の蛮行をローマに訴えていたりするし、ローマの崩壊を嘆くゲルマン人の言葉は多く記録に残っている)
最終的にはゲルマンの一部族ゴート族が西ローマ帝国を滅亡させた(ゲルマン人の傭兵隊長のオドアケルが皇帝ロムルスを退位させた事で形式的には消滅し、実質的には480年頃に滅亡)。
□チャンカ□
チャンカ族はインカ帝国の宿敵であった。南アメリカの高地民族。
詳しいことはインカ帝国の記録からしかわかっていない、パチャクティによって打ち破られ、その後徐々に衰退(同化)していったと思われる。
インカ帝国へ攻め寄せたときには「インカ帝国を圧倒するような」軍勢で攻め寄せたとされているためチャビン文明(石造りの町を持つ事で有名)の後継帝国であったのかもしれない。
□フン族□
中央アジアに現れた遊牧国家、西ユーラシアの遊牧民族を支配し、ゲルマン諸族を侵略、まず間接的に、次に直接的に西ローマ帝国滅亡の原因となった。
ちなみにフン族やスキタイが「ヨーロッパ寄りの」騎馬民族と考えるのは思い込みで実態はわかっていない。
恐らくは「モンゴル平原から黒海沿岸まで」の「草の道(陸のシルクロード)」諸勢力は相互に干渉しあっており、フン族自体も「アジア系の遊牧民」である様々な証拠がある。
□ケルト□
ケルト系諸族、ドルイド教を報じるため一定の統一性があり、かつて興隆前のローマの首都を占領、ゲルマン族へも介入するなど強精を誇ったが、ローマの興隆とともにラテン化、定住化が進み、最終的にはユリウス=カエサルによってローマ帝国に取り込まれた(この戦争についてのカエサルの手記であるガリア戦記は現代でも版を重ねる歴史的ベストセラーである)。
しかし征服された当時においても鉱山開発や鉄の加工技術などでローマに対しても優位性を持っていたと考えられている。フランス人のルーツの1つと考えられている。
はい、これで古代は終了!!
次は混迷から立ち上がる前近代の第三ターンへ!!
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