先日の帝国の説明(第二ターン(エポック)「法の時代」の出現帝国)の続きです、今日は第三ターン(エポック)の出現帝国の解説をします(実際の歴史では紀元後0年〜1200年ごろです)。
ベーシックゲームでは第三エポックまででゲームは終了します!!
【第三エポック世界帝国と遊牧民族】
第三エポックは「帝国の崩壊と再興」の時代。
第二エポックで世界の各地に構築された帝国が崩壊し、再建されるまでの長い長い時代です。
東アジア全体も、地中海世界も延々とした内紛、暗黒の時代を迎えました。
そして、この時代の最後にはついにモンゴル帝国が現れ、世界地図(ユーラシア大陸)を結合します。
【世界帝国】
- テオティワカン→アステカ 【4/2/1】 中米(モンテスマ)
- ササン朝ペルシャ 【9/2/1】 中東(シャープール2世)
- グプタ 【5/2/2】 インド(チャンドラグプタ2世)
- フランク王国 【9/2/0】 北ヨーロッパ(カール大帝)
- イスラーム帝国 【10/3/3】 中東(ムハンマド)
- 隋→唐 【12/2/3】 中国(高祖)
- 神聖ローマ帝国 【10/3/2】 北ヨーロッパ(フリードリヒ2世)
- ヴェネチア共和国 【9/2/4】 南ヨーロッパ(十人委員会)
カッコ内は【活力/軍事力/商業力】という形で国の能力を示しています。
「活力」の数だけコマがもらえます、国の基本的な「拡張力」のベースになる力です。
「軍事力」は戦争に対する力、「商業力」は商売の力です。
【遊牧帝国】
- モンゴル帝国【+2/5/-】
- セルジューク【0/4/-】
- バイキング【-2/4/-】
- キプチャク【0/4/-】
【第三エポック世界帝国の解説】
各帝国の詳細な解説を行います、ゲームには直接影響しませんが、お楽しみください。
■テオティワカン→アステカ■
メソアメリカをほぼ統一した国家。
太陽のピラミッドや月のピラミッドといった巨大建造物で。
テオティワカンの都市を整備し莫大な富を集めたが7世紀ごろに突然滅亡している。
後にアステカは無人になったテオティワカンを支配下におさめたがアステカの人々はこの街を「神々が住んだ町」と信じたという。
アステカは強力な軍事中心の国家で、功績のあった軍人には「ジャガー戦士」や「イーグル戦士」の称号を与え、年金なども与えていた。
商人などはスパイとして組織されていて情報管理も行われていた。強固で安全な街道網が整備されており、誰でも安全な旅が出来た。コルテスの侵入を受け、一時一進一退の攻防を繰り返すがスペイン人の策略に合い皇帝が捕らわれ1521年滅亡。
■ササン朝ペルシャ■
ササン朝ペルシャはアケメネス朝ペルシアの伝統を引き継ぐ国家。創始者であるアルデシール1世はペルセポリス近郊の貴族であったが徐々に力を蓄え、遊牧系のパルティアを滅ぼして中東を支配した。
ゾロアスター教を信仰した。
ローマ帝国と対峙しローマ皇帝ヴァレリアヌスを捕縛するなど軍事的にも大きな実績を持つ。
5世紀ごろにエフタルの東方領土への侵入を許し国家が混乱に陥るが、名君として名高い21代皇帝ホスロー1世の治世で突厥と同盟しエフタル(白匈奴)を滅ぼした。642年にアラブとのニハーヴァンドの戦いで敗北し651年に滅亡している。
■グプタ■
イラク(ペルシア)系のクシャナ朝を滅ぼしたインド系の国家。バラモン教を信仰した。チャンドラグプタ2世の治世で北インドを統一、全盛期を迎えた。
文化・芸術では独自の強い文化を築き、グプタ様式を確立して中国などから僧を受け入れ仏法を伝えている。
その後エフタルの侵入を受け衰退、6世紀に滅亡した。
■フランク■
フランク族はゲルマン民族の一部族。
大陸ヨーロッパ全土を制圧するまでの勢力となるが、フランク人は分割相続の伝統を持っていたため指導力が分散した、結局宮宰のカロリング家がピピンⅡ世の時代に”全ての分王国の宮宰を独占する”形で再統一を果たす(それまでの王朝をメロヴィング朝、これ以後をカロリング朝と呼ぶ)。
その孫にあたるカール・マルテルがイスラム勢力を撃退する事でローマ教皇などキリスト世界の守護者とみなされるようになる。
その後、西暦800年カール大帝の治世でカール大帝は”西ローマ帝国皇帝”に任じられた(これはクリスマスに行なわれたという話だから、大きなクリスマスプレゼントだといえる)。
その後、あれだけ混乱を呼んだ分割相続の伝統を捨てなかったため、フランク王国は再度分割され東・中・西フランク王国になる。これらは現在のドイツ・イタリア・フランスの原型と考えられている。その後分割相続は廃止された。
■アラブ帝国■
ムハンマドのイスラム教創始により始まった国家および勢力圏。
現在私達がイメージするアラブ圏はこのアラブ・イスラーム帝国の支配から始まる。
何度か王朝が倒れるが、アラブ人としての民族意識とイスラームの力で再度統一されることを繰り返す、最終的にはモンゴルの侵入でアッバース朝とその血族が滅ぼされて滅亡する。
■隋→唐■
隋は北周の随国公(将軍)であった楊堅(文帝)が北周の静帝から禅譲を受けて建国した国家。北周を制圧後、中国南部を支配していた陳を支配して中国を統一した。
煬帝の失政と高句麗遠征に失敗で反乱が多発し、太原留守(太原における皇帝の代理)であった李淵は長安を攻め落とし自らが擁立した恭帝に禅譲をさせて、唐が建国された。
二代皇帝の高宗の時代に突厥を下し、三代皇帝高祖の時代に高句麗を下して中国全土から中東に至る支配圏を確立した。西暦750年ごろ、六代目皇帝玄宗の時代は唐の絶頂期を迎えるが、末期に楊貴妃への寵愛に耽り、大乱が起きた。
その後徐々に衰退し10世紀ごろには中国の支配権を失っている。
※禅譲…中国の支配者としての資格を失った皇帝が次の支配者に権利を受け渡す事。平和的な手段と思えるが、魏から西晋への禅譲以降はほとんどの廃帝は殺されている。
■神聖ローマ帝国■
東フランク王国を引き継いだザクセン人主体の国家(逆に言えばフランク王国に支配されたザクセン人の居住地域が東フランク王国とも言えるが)。
ドイツ帝国とも言われた。
フランク王国よりも早期に領域国家として成立するが、ザクセン人は王は緊急時以外には置かない政治システムであったためそれを引き継いだ神聖ローマ帝国も一部の例外的な時代を除くと皇帝の権限が弱く、小国の連合体という側面をまぬがれなかった。
最盛期はルネサンス前夜「玉座に座った初の近代人」とされたフリードリヒ2世時代。
イタリアを統一も成し遂げ十字軍でも一定の成果を上げるが、外交的な解決であったためローマ法王に破門される、近代まで国家は存続するが末期は「神聖でも、ローマでも、帝国ですらない」というヴォルテールの言葉が残されている通り政治的な意思を失い混乱し崩壊した。
20年にわたって皇帝が不在となる”大空位時代”や、最終的には合議で分裂状態が固定され(ウェストファリア条約1648年)最後まで中央集権が出来ずに、プロイセンの台頭で崩壊体制事態が機能不全に陥った。1806年ナポレオン=ボナパルトの侵略を受け解体。
■ヴェネチア共和国■
ローマ崩壊時に身を守るために浅瀬に建てられた集落から発展した海洋国家、政治体系的にはもっともローマを引き継いだ。
強固な共和制と、元首の非世襲選出、法のもとでの平等と自由の堅持。
強力な情報網(大使館を常設し始めたのはベネチアである)と粘り強い政治スタイルで1000年にわたり独立を保持した。「アドリア海の女王」や「最も高貴な国」と呼ばれることもある。
安定的で言論の自由を貴んだため反動宗教改革(代表的には異端審問)を受け付けずルネッサンスの最後の守護者となる、出版業を確立し学生にも買える本として単行本も生み出した。
1779年ナポレオン=ボナパルトの侵攻を受け、降伏、滅亡した。
次回は第三エポック遊牧帝国を解説します!!
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